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s c r o l l

自 戒

d I s c i p l i n e .

2 3 . d e c e m b e r  / 2 0 1 8

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自を戒めると書いて自戒と読む。

 

その言葉の通り、自分を戒めることであります。

 

時に人は甘え、自分の思うが快楽に向かって歩み始める。

 

厭、時にとは言わず、恐らく其れは常日頃起こっている事でもあるのだと思うのです。

 

其れでも常に自分に厳しくしている人は居る、どうして続くのであろうか、とも思います。

 

偶に人は己に厳しくあらなくてはならないのだと、も思いますが、

 

そう容易いものではなく、

 

では自分はどうであるのか、を今一度思い直すいい機会を、

 

ふとある時に得る事になったのです。

 

 

ざわざわと音を立てて、荒れ狂う波のように、

 

世情に流され、思考する事さえ許されないように、

 

時は忙しく流れ、何を思うのが正しいのかさえも見失い、

 

ただ擦り切れ、削れゆく魂を護るが為に、

 

自分に対する危険性は極力排除する。

 

排除する、と言うよりも、

 

“避ける” と言うのが正しいのかもしれない。

 

働く、生きるとは「そう言う事なのだ」

 

と、自然と己の中で自己が芽生える。

 

まるで社会がそう教えたかのように、錯覚しながら。

 

周りが段々とそうであるように、

 

自分にもその闇が入り込んで来て、静かに染まって行く、

 

全く意識の無い、その範疇で。

そしてそれは、思考の及ばない場所で、

 

傲慢に、さも当たり前かであるかのように顔を覗き出す。

 

いつからであろうか。

 

そんな風になってしまったのは。

 

これは生き様の問題なのか、それとも社会では当たり前のことであるのか、条件反射かの様に、喜んだふりをして仕事を受ける。

 

でも仕事は自分で線を引き、それ以上先にはいかないように、保身する。

 

その線は、誰にも告げずに、こっそりと、引く。

 

大方、不幸な結果になっている事にも気が付かないまま。

 

嗚呼、何故。

 

といつも思い返すと言うのに、反省している様で、また同じ過ちを繰り返す。

 

当然と言えば当然なのだ、自己内省している様で、全く本質を理解していないのだから、繰り返すだけなのだ。

 

 

建設的な事は大抵何も無いのだ。

 

皆、己が摩耗することを避けるのだから。

 

こんな世情の何が楽しいのであろう。

 

生きている事の本質さえ理解できないまま、尊い時間が静かに過ぎ去り、気が付いたら己が何者であるかさえも、

 

そして何をするべき人間であったかさえも、見えなくなっていってしまう。

 

 

「責任」「耐える 」「主従関係 」

 

それらの言葉は、これまで日本を築き上げて来た故で忘れてはならない言葉である。

 

で、あるからこそ、そうでなくてはと盲信し、意に反する思いの全ては蹂躙される。

 

まるで、そうあることや、そう育ちゆくことが悪であるかの様に。

 

大人は、平均化され、くだらないことで多くを言い合う様になってしまう。

 

まるで、己の失態を隠すが為に、世の所為、人の所為であるかの様に声を荒げながら、自分を護る為に、言い合うのです。

それがどれほど虚しいものか。

 

立場の弱い人間ほど、それに蹂躙されて、疲弊し、良心までも破壊されてゆくのです。

この悲しい現実に、どう立ち向かえばいいのでしょうか。

何故、こんなにも傷付けあうことが、生きる生業であるかの様になっていってしまうのでしょうか。

責任の所在を探し、紛糾し、糾弾する。

怒りや憎しみ、そして悲しみしか生み出さない、今の社会の在り方に愕然としながらも、とある人の一言で、己も同じだったのだと、気が付くのです。

それを知り得た時の己の惨めさたるや、何も言葉に表せれないほどの、大きな虚無感に駆られてた事を、今も思い出します。

 

秋の、夕暮れ時でありました。

 

 

何時から人と人は、生を分かち合う為に、助け合う事ではなく、傷付け合う事を選んでしまったのでしょうか。

 

前に進む事が一体何なのかを忘れ、

 

己に陶酔し、自分の経た経験を一番であるかの様に語り掛け、その事でさえも忘却する。

負が負の連鎖を呼び、ゆっくりとずぶずぶ沼に足を取られて行くかの様に、

深みにはまって、抜け出せなくなってしまう。

大きな原因となっているものは、

我々の最も身近なものであり、生きるために一番大事なものであると理解しているのですが、

こればかりはどうしようもないのであると同時に、

我々人間の文明がここまで繁栄した一番の要因であるが故に、

この世界に生きる限りは脱却できない全てであると、理解しているのに、

それでも示すべき嫌悪感に、自分自身が一番毒されていると気が付くのです。

まるで其れは、麻薬の様に痺れ、生きることへの感情を失い、また理性も失い、還りて感情的にもなってしまう、なんだか壊れているかの様な、そんな感覚。

まるで高いところから誰かに支配されている様、其れこそ遥か遥か遠い昔から、

遠い異国の学者の言葉に遠い未来まで支配されているかの様な。

自分の意思は、すぐそこにある様で、思考も思想も本当はないと思えてしまうのです。

とてもやきもきしている様な、偶像に直面した時に、

 

今すぐにでも逃げ出したいと思い、逃げ場所を探すことで、

 

暮らしを繋いでいる、ただそう言う事で現実が成り立っていると錯覚して生きてしまっている。

その事も改めて、どう在るべきかも今一度内省し、自分の思うべき姿を思い返して、見つめ直す。

今、僕に出来る事とは、ただそれでしか無いと思うのです。

自戒とは、自を戒める事。

今自分のいる地点を、少しだけ振り返って確認する。

思い返すことはきっとたくさん在る、戒めることは、悪いことばかりでも無いかもしれない。

忘れかけていた本当の思考を取り戻す為にも、

途轍もない偶像にぶち当たった時には、一度振り返ることが大事なのかもしれないと、

薄っすらと、思う。

逃げ回ってばかりいたこれまでに、

負が負の連鎖を生み続けていることに気が付かず、

ただ暗礁の乗り上げて、焦燥とする。

 

不意に破ってしまった硝子の器の様に、

 

何かを謝って、後悔していたあの時の様に。

 

 

僕に出来ることはなんだろう、

 

そもそも、僕が描きたかった、為し得たかったこととはなんだろう。

 

今は、自分のいる地点に立ち返って、この場所でゆっくりと、

 

照らした鏡の己の姿を顧みて、今一度思う。

I t e m s

 

 

 

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