繋 辞


c o p u l a .

友人の結婚式の披露パーティーで、実家のある愛知県に帰っています。

本当は今日、東京に戻るつもりでありましたが、

それこそ、物心がつく前から一緒に遊んでいた友人から、ある話を得て、

今日一日、この場所でしかできないことを重ねてからにしたい、と思い留まり、

急遽滞在を決断致しました。

うまく言葉を綴ることができないと思いますが、

記録程に。

一昨日の事になりますが、僕は京都から名古屋に移動し、

結婚した友人を祝福しに、その披露パーティーに向かいました。

新郎である僕の友人側の参加者は、

一緒に苦楽を20代共にして来た、地元の祭礼、青年時代の同い年の仲間達と、

また同じくその祭礼に一緒に携わって来た、先輩や後輩がほとんどでありました。

受付を済ませ、ちょっと気を遣った挨拶を先輩達に交わして、

少しだけ皮肉を言われて、そのまま会場入りして開演の時間を迎えました。

いつもはカッコつけでクールな表情で、ちょっと皮肉交じりの言葉を並べるその友人が、

普段見たことがない様な、純白で純粋な表情、奥さんとのやり取り、

そんな姿に温かい心情を抱き、この機会に参加できた事が、

ただただ嬉しい事であるな、と僕は感じていました。

その後に、一緒にテーブルを囲んだ仲間たちと話をしたくて、近くに居酒屋に行く事にしました。

その時、一緒に行こうと話をしていた同級生が僕を含めて6人、

そのうちの2人は、その披露パーティーに来ていた地元の先輩に誘われて、そちらの飲み会に行く事にしました。

2人のうち1人は、ずっと地元で生き、その先輩達ともプライベートでも楽しく付き合っている人で、

もう1人は、今は地元を離れて大阪に住み、家庭の事情でちょこちょこ地元に帰って来てる人でありました。

全員揃わなかったのは残念でありましたが、

取り敢えず、終電まで飲んで、そのまま地元の駅まで移動してまた飲み直して、

別れた2人にも戻って来たから、落ち着いたらこちらに来なよ、とLINEでやり取りをしていました。

結局、2人は来る事がなく、僕らはお開きの時間を迎え、

店を後にした後、大阪に住んでいる友人から電話がかかって来ます。

随分お酒を飲んだ様で、どうも様子がおかしい。

何やら色々「辛い」苦しい」と話をしています。

心配だったので、取り敢えず水やら何やらを買って、彼の元に向かう事にしました。

随分ボロボロな状態で、

着ていたスーツも汚して、彼の実家の前の歩道でぐったりしているのを見つけました。

酷い酩酊状態でした。

少しずつですが、僕らと別れた後のことを話してくれました。

断片的な見聞ではありますが、

どうやら色々と皮肉と嫌味を言われながら、呑まされたそうです。

身程も酷い、表情もぐしゃぐしゃで、

30過ぎた男が泣きながら、僕に思いを吐き出してくれました。

「もう、この町には戻れない、戻りたくない」

「これ以上、何か一緒に協力することはできないかも、ごめん」

それこそ、物心がつく前からずっと近所で一緒に育ってきた友人の、

こんな姿を見て、僕はその時強い憤りを感じていました。

この惨状、なんだよ、と。

なぜ彼は、こんないじめみたいな目に、青年時代のときからずっと合わされ続けて、

痛み続けてきてしまってるんだ、って。

そんなもの打っ壊してやる、ただの強い怒りと悲しみが僕の中で蠢いていました。

彼はずっと自己犠牲を払ってきました。

自分の感情は話さず、いつも気丈に笑っていなければいけない、

この町は、伝統と言う名の偏心が慢性的に蔓延っていて、

その伝統から溢れる奴は、攻撃されると言う風潮が昔から強かった。

とても偏ったコミュニティー思想の中で、

生き残るには毒を食い耐性を養うか、

それとも逃げ出すかの二択しかない、

そんな奇病にも見て取れる、伝統に気がついたのは、

それこそこの町を出てからでありました。

毎年の夏、僕らが生まれ育ったきたこの町は、

奉納の為に行う祭礼があり、この祭礼はこの町にとって一番重要な出来事で、

そしてそれを楽しみにしている人も当然の様に多く、この祭りのために一年間が回っているといっても過言ではないくらい、

重要度がとてつもなく高いものであります。

子どもも、小学生の頃から参加し、

高校生からは参加任意になるのですが、青年団となり24歳まで勤めることができます。

僕もその友人も、地元の先輩からの誘いもあり、

途中からの参加ではありましたが、青年に加入し、

正直辛くはありましたが、お互い24歳の時には青年の長として、責務を全うしてきたつもりではあります。

その先は自由で、

そのまま青年の後見人として祭りに参加する人もいれば、

僕の様に同級生と集まるための機会としている人間もいます。

この祭りの主役とされているのは、

神と、その神と共に町を歩いて回り厄を落とす、厄年の人たちです。

僕らも、次は厄年のために、色々と準備をしなくてはならない、と

色々な人にせっつかれたりしています。

それこそ、一つの呪詛かの様に、

僕たちもそれに毒されつつありました。

同じ仲間内の中で、一人とても大事な友人がいました。

彼とはよく、クラブミュージックを通じて毎日のように遊んでいた時期があったほど、

親交の深い友人だと思っていたのですが、

残念ながら、2年前から僕含めこの町の人とは、もう誰も連絡が取れなくなってしまいました。

理由は聞けなかったけれども、きっと限界を超えてしまったのだろうと思っています。

生まれ育ったこの町に居たくないと思わせてしまう何かがここに有ると感じて居た僕は、

叛逆の思いで、重圧もしがらみも無くして、

ボランティアにも近い事なのだから、もっとストレスなく皆んなで作っていける様な、

そんなコミュニティーにして行きたい、とそう思う様になりました。

この毒に侵されて、限界を超えてしまった人も、

その日の彼の様に、限界を迎えようとしている人もいたりして、

いや、彼はとっくに限界を超えていたのでしょう。

そんな彼が、振り絞る言葉に、僕はどう答えればいいのでしょうか。

よく我慢した、頑張りました、と言うのは正しいのでしょうか。

頑張った、とは何をなのでしょうか。

そうやって慰める事が彼にとっていい事なのでしょうか。

正直分かりませんでした。

彼にとっての苦しみは、それだけではないのですから、

家庭事情だったりとか、仕事であったりとか、

きっと色々と複合的にあったのでしょう。

頭に過ったのは、ある方に僕自身が頂いた言葉、

「自分を大事にし」

と言うワードでした。

その言葉を頂いた時、どう言うことか、真意を兎に角手繰り寄せたくて、

思考を繰り返していました。

その時の彼の状況と、今の僕と少しずつ重ね合わせながら考えて、

少し整理した言葉を彼に話していきました。

この町での状況に関して言えば、

青年を終えた頃の境遇は似ていました。

実家の環境は全く違えど、当時の状況は僕も彼も、同じ様に毒され、

そして地元を出て外で暮らす様になりました。

当時は「逃げたんじゃないだろうな?」と色々な人から言われるほどに、

背徳なる思いで外へ出ていきました。

それから暫く、

彼と僕とで、地元に帰る時の気持ちの変化は大きく変わっていました。

僕は、帰省した時の少ない時間の中で、

家族と仲間との時間を大事にする事を選ぶ様になっていきました。

彼は、この町で果たさなくてはいけない責務のために帰る様になっていました。

好きではないと言っている実家の事や、お祭の後見としての事。

偶に、一緒のタイミングで実家に帰った時に、

行くところがないから泊めて欲しい、と言われた事もありました。

帰る場所や行く場所に苦痛を感じている姿を見て、

あの頃から限界を迎えていたのだろうと、今になって思います。

想像以上に孤独なのだろう、と。

でもそれを憐れむ事が良いことではないのだろうと。

この町に戻る理由に負の側面が強いのであるのなら…。

「自分を大事に」

その言葉の真意が少しだけ僕の中で開けた様な気がしました。

「今、お前のそうした姿を見て、助言とか、慰めとか、そんな烏滸がましいことは俺にはできないけど、

自分の心に聞いて見て、それで出したい答えがあるのであれば、俺は純粋にぞれを応援するよ。

例え、僕ら仲間内にとって悲しい結末であっても、僕らは仲間であるんだから、大丈夫。

社会的立場とか、責任とか、そう言う形振りはあると思うけど、自分が出そうとしている答えに悪いとか、

そうやって思うことはないと思うよ。人生は泡沫であるから、お互い今あることに素直に毎日を生きていこうよ。」

全てではないですが、大体の話をして、その日は別れました。

悩み苦しみ、それでもどうして行くかは己次第でしかないのだと、

それは僕も同じであります。

彼に比べて僕の悩みはさほど痛いものではありませんが、

結局は自分でしか見出せないものであるのだと、そう思っています。

色々と逃げ出したい事も、辛い事も、避けていきたい事も、

本当にたくさんあります。

脅迫にも似た様な、そんな社会的な重圧も当然ありながら、

どう言う決断をして行くかはやはり自分次第であります。

僕の中では、生き方と思考はほぼ同義だと思っていて、

限られた時間の中で捻り出した選択肢を踏み分けて進んで行く事、

これもまた生きている面白さであり、生きて悩んでいる証しでもあると言えるのではないでしょうか。

話は戻りますが、今日は東京に戻るつもりではありましたが、

自分の原点と言いますか、” 気がついていなかった憧れの風景 “ を直接見に行きたいと思い留まり、

実家にもう一泊する事を決断しました。

普段は車社会の愛知県で、例え気になる風景が車で走っている途中にあったとしても、

歩いて見て回る事は、今思い返すと考え付き辛いのであります。

日曜日に、車で好きだった道順をたどって、荷物を取りに行った道中の信号待ちの時間、

何となく自分の憧れの風景はここだったのではないかと、その景色を眺めて気がつきました。

一晩悩んで、それでも結論が出なくて、朝も起きて考えて、

今、やはり行くべきであろうと思い、急遽一泊して、その町を初めて歩いて回る事にしました。

この場所でしか、思考できない事、今できる貴重な機会ではないのかと。

実家から車で30分ほどの場所、

丘の上の町で、麓には町の教会があり、小さな溜め池と緑溢れる公園が側に有るその場所は、

これこそが僕が求めていた理想だったのかも、と一瞬思わせてくれましたが、

悪いところも見えてくるのが、歩きの不思議なところで、

それも含めて、良い気づきになった機会でありました。

今回は、大阪から京都、そして名古屋を経由して実家へと、

色々と思う事がたくさん出来た貴重な機会でありました。

とても嬉しい事も楽しい事も有りましたが、

哀しい事も、怒れる事も有った何とも言葉で表し辛い、そんな機会でも有りました。

明日の朝、東京に戻ります。

彼とはまた3月に会う事にしました。

次はまたお互い、違う表情で会えたら良いなと、思っています。

2019.01.22 01:58:04


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