読 了

February 11, 2019

 

 

 

 

 

 

 

安藤雅信「どっちつかずのものつくり」読了致しました。

 

新書を実物で購入したのは久々で、

買った初日に、三分の二程、一気に読み進めたのですが、

それ以降が中々で、購入してから3週間で漸く読了です。

 

 

本書は、安藤さんのこれまでの作陶の歩みを綴ったエッセイです。

前半は、これまでの作品論や自己の在り方。

後半は、各著名人との対談と言った形で纏められていて、

個人的に読み応えのある一冊だったなと感じております。

 

 

それっぽい事を、本書から引用すれば、

さも読み込んでる風に書き綴れるのでしょうが、

それでは読本の意味が特にないので、

考え方の整理を含め、以下、僕なりではございますが、感想を。

 

 

 

まず、感想に入る前に、本書の説明書きをご紹介していきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

-陶作家・安藤雅信、陶歴36年の歩みを巡る作品論とエッセイ。

 

 

 「工芸の外からの目線が入った仕事を自分の中で消化できた時、僕の作る器は水を得た魚のように変わり始めた」(本書より)という本人の言葉通り、

 焼物を生業とする安藤の作品づくりを突き動かすのは、美術、音楽、デザインなど、他分野との垣根を軽々と飛び越える好奇心にあります。

 その美学と暮らしの捉え方は、90年代頃から始まった生活工芸の裾野を広げるとともに、私たちの生活の捉え方にもさまざまなヒントを与えてきました。

 本書では、本人曰く「独りよがりの中二のような作家兼ギャラリスト」が30年以上にわたり、様々な境界線で行ったり来たりしながら葛藤した中で生まれた作品論、

 エッセイ25篇と、各界の一線で活躍する4名との対談を収録しました。代表作のオランダ皿誕生のストーリーをはじめ、日々の暮らし方への問題提起や、

 人生への深い思索にも満ちた一冊です。

 

 

 

 

 

 

 

と、紹介があります様に、

これまでの自我の求め方と、仕事への向き合い方、そして作家としての表現の仕方を綴られております。

 

 

全部で25篇のエッセイとのことですが、

全25篇が連続しているかの様であり、はたまた捉え方によっては、一つ一つが切れているかの様でもあり、

その書き途上であるかの様に感じさせる構成は、

安藤さん自身が考え方を整理しているかの様でもあり、

まるで安藤さんの心の中に入り込んでいるかの様な、

読み手が感情的に入り込めんで思考できる余白があり、

それ故に奥ゆかしさを感じる様な内容となっております。

 

 

博識であり、随分沢山の物を、見聞きし、

そして体感し、自分の血肉とされてきた事が読み取れるほど、

その知識の量性には感嘆とさせられますが、

逆に言えば世代的コンプレックスを強く抱いている為か、

己らの在り方を探求されている様でもありました。

 

 

故に、至った座右の銘が「融通無碍」であるのだと思います。

僕の実父と、齢同じくらいの安藤さんではありますが、

特に、今の若い世代や情報社会に対しても、

自ら触れていく様に前衛的でいて、

いい意味で ”おっさん” にならない様にしている心意気を感じます。

 

 

上述だけだと語弊があるかもしれないので、

予め追記しておくと、

僕がここで言う、“おっさん” は誰の心の中に潜む「悪」の事を指しています。

段々と人は歳を重ねたり、立場、体裁、そういったものを積み上げていくと、その専門性に特化しすぎると言うか、

ある意味その登頂で胡座をかいて停滞してしまいます。

それは、時間が長くなればなるほど、立ち上がるのが困難になり、

己の常識から反する都合の悪いものは、自分の得意な土俵に迎え入れて鎮圧するか、

もしくは触れない、見ない様にし、やり過ごすか、

根本的な解決は一切ない様な、”権威”、

それがずるずると続き、段々と脆くなっていく、

その山の麓に気がついているのに見向きもせず、

最後はぼろぼろと崩壊していってしまう、そんな姿を指しています。

 

 

これだけの"権威”となれば、仙人ともなれそうですが、

そうはならず自分なりの、考え方を持って前に進んでいくその勇姿は、自分たちが歳を重ねた時に、どう生きるかを考えさせてくれます。

 

 

後半のエッセイは、各界のフロントに立つ4人の著名人との対話で構成されています。

以下がその構成と各対談人物です。

 

 

 

 

 

 

-坂田和實&安藤雅信「基準のない美しさ」

 工芸と美術を繫ぐ ――坂田和實さんとの対談を終えて

 

 

村上隆&安藤雅信「現代美術↔陶芸」

 鎖国は解けたか? ――村上隆さんとの対談を終えて

 

 

大友良英&安藤雅信「あまちゃんからノイズの向こうまで」

 ノイズ談義 ――大友良英さんとの対談を終えて

 

 

皆川明&安藤雅信「共感のものつくり」

 喜びの回生 ――皆川明さんとの対談を終えて

 

 

 

 

 

この著書の一番面白いと思ったところは、この対談が後半部分に記されていると言う事。

 

抽象的な言葉で表せば、裏と表を見ている様なそんな感覚でがあります。

実際にこの順序で対談を行ったかはわかりませんが、

この構成はある意味秀逸と言えるのではないのでしょうか。

 

 

前半のエッセイだけ読み終えていれば、

「安藤さんすげー!」で終わってしまうのですが、

この対話がある事で、ある意味気取ってカッコつけていない、安藤さんの裸像が読み取れてきます。

昔から興味があったのですが、特に村上隆さんとの対話、

むしろコテンパンにやられてるシーンもあるので、一気に曝け出される感じが、

偏りつつあった思考を一気にフラットにさせてくれます。

 

 

個人的に、大友さんとの対話が一番中だるみしてしまって、中々読み入る事が出来ませんでしたが…、

それで全員スタンスが違うので、その対話はストレートさを感じ取れて、ある意味潔いです。

 

 

最後の皆川さんとの対話は、

ある意味、今回のゴールとなるところなのでしょうけど、

2歩、質問の上の部分から答えてくれているので、その点を踏まえて総括なのでしょう。

そして最後の皆川さんとの対談は、途中含みで幕切れを迎える様になっています。

 

 

最後はあとがきと、そこはセオリー通りの括りではありますが、

本書の全体を通して、読み続けていると幾つか拘っているであろうワードが浮き彫りになって見えてきます。

 

 

 

 

特にその中で僕の心に焼き付いているのが、

 

「生活工芸」と「余白」と言うワードです。

 

「生活工芸」は当然の様に、何度も出てくるフレーズですが、

安藤さんの業としている部分がそれであり、それと美術をどう結節させるかを模索し続けるうちに、この書の冒頭とそしてタイトルに至ったのだと感じました。

 

この書にある「余白」の意図は、使い手の”余地"のことを示していると思います。

うつわを、どう言う風に使うか、と言う使い手の余地を「余白」としているのでしょう。

 

 

本書はエッセイとしての毛色が強い一冊ですが、

逆手順で読み解くと、そのタイトルとしている意図が、

前半に記されていることに気がつくのですが、

結果的にまだ模索している途中であるから、「どっちつかず」とされているのであり、

その回答は誰もわからない、僕ら読み手にとっても、

考え入る「余白」を与えてくれていることに気がつきます。

 

 

 

 

ある意味異色の一冊だとは思いますが、

個人的には読み味のある一冊だと思います。

語り、知らせるエッセイというよりかは、話、考えるためのエッセイといった方がしっくりくるかもしれません。

 

 

僕としては、安藤さんは学生時代に大きく影響を受けた作家さんの一人で、

その当時は安藤さんの思考に支配されていた時期もありました。

当時の感情とは違って、少し遠目から眺めて見た今回は、

読みながら没入したり、そこから少し抜け出したりしながら、色々と想う事が出来たいい機会となりました。

 

 

答えを見つけてしまったら、きっとそこで終わりなのであろうとも思ったり。

僕の感想としてはこんなところでありますが、

気になる方は、是非一度お手にとって見てはいかがでしょうか。

 

 

安藤さんは陶作家ではありますが、

読み物としても、今回の「どっちつかずのものつくり」は良い面白さと余韻を残してくれていると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

2019.02.11 23:34:18

 

 

 

 

 

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